同和問題の正しい理解のために

同和問題の正しい理解のために@
 日ごろ、私たちは「人権」ということについて、深く考えることが少ないのではないでしょうか。
 日本国憲法は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(第14条)と法の下の平等をうたっています。
 しかし、現実の社会では、女性や障害者に対する差別、民族差別などさまざまな差別が生じています。
 なかでも、同和問題(部落差別)は、同和地区(被差別部落)出身であるというだけで、不当に差別され、社会的な不利益を受けている問題です。
 この問題の解決は、国および地方公共団体の責務であると同時に、私たちみんなの課題です。ところが、いまだに「自分には関係がない」、「そっとしとけばいいのに」といった考えを持っている人が一部にあり、なかなか私たち一人ひとりの課題となりきっていません。ここに同和問題の解決を遅らせる大きな要因があるといえます。
 私たちは、憲法に保障されている「法の下の平等」を不断の努力によって守り、“人権が守られた明るい社会”を一日も早く実現していかなければなりません。
 愛媛県から内子町から、部落差別をはじめとするあらゆる差別や偏見をなくし、人権が守られた明るい社会が実現するよう皆さんの家庭や地域・職場などにおいて取り組んでいただきたいと思います。

同和問題の正しい理解のためにA
−明るい社会の実現をめざして−
(1) 人間としての当然の願い
 だれもがこの世に生を受け、たった一度の生涯を、人間として尊ばれ、愛情と信頼に満ちた温かい人間関係の中で、しあわせに暮らしたいと願っています。この願いは、自分ひとりのものにとどまらず、わが子も孫もそしてすべての人がいつまでも、そうあってほしいという願いです。
 このような、人間として当然の願いを、日本国憲法では、侵すことのできない権利、いわゆる基本的人権として、すべての人に保障しています。
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。(日本国憲法・第11条)
 しかし、現実の社会では、こうした願いにもかかわらず、いろいろな面で、基本的人権を侵害されている人びとがいます。とりわけ、同和地区の人たちは、ただ同和地区の出身という理由だけで、いろいろな面で差別を受け、「基本的人権」が完全に保障されていないという実態があります。

(2)同和問題とは
 同和問題とは、部落差別にかかわる問題です。
 部落差別は、日本の歴史の歩みの中で、人為的・政治的につくられたものです。徳川幕府は、封建制度を確立するため、武士と農民、町人(職人と商人)という世襲的な身分制度を設けました。そして、さらに低い身分を定め、それらの人びとを一定の地域(同和地区=被差別部落)に住まわせました。そうすることによって、農民や町人に自分たちより下の身分があることを知らせ、武士階級に対する不満をそらし、幕府と諸大名による支配体制を維持しようとしたといわれています。
 この身分制度のもとで、農民や町人よりも低い身分とされた人たちは、生活の面であらゆる差別を受けながら、荒れ地や河原などに強制的に住まわされました。しかし、それらの人びとも、さまざまな仕事や役目を通じて、社会を支えてきました。
 いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、特に、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由とを完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題です。 同和対策審議会答申(昭和40年8月)
 明治になって、身分差別をなくすために「身分解放令」が出されました。しかし、現実の社会生活にあっては、実質的な施策が伴わなかったため、「身分解放令」後も同和地区の人びとに対する差別と貧困の実態はほとんど変わりがありませんでした。
 その後、大正11年に全国水平社が創立され、自主的解放運動が広がっていきましたが、戦後、基本的人権がうたわれた日本国憲法が昭和22年に施行された後も、部落差別にかかわる事件は、あとを絶ちませんでした。
 この問題を解決するため、総理大臣の諮問機関として、同和対策審議会が設置され、昭和40年8月に「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」について答申が出されました。この答申は、同和問題は憲法に保障された基本的人権にかかわる課題であり、その早急な解決は国の責務であり、同時に国民的課題であるとして、その解決のための方策を示し、その後の同和行政の指針となっています。
 この答申に基づいて、昭和44年には、同和対策事業特別措置法が制定されました。その法律では、同和対策事業の目標を「対象地域における生活環境の改善、社会福祉の増進、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化等を図ることによって、対象地域の住民の社会的経済的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消することにある」としています。

(3)どのような差別の実態が
 部落差別には、ふたつの差別があります。第一に、差別的なことばや態度で相手をさげすんだり、予断と偏見から結婚や交際をさける「心の差別」があります。第二に、就業の不安定や住宅、道路等の環境整備の立ち遅れなどにみられる「生活実態の差別」があります。 こうしたふたつの差別からおこる同和地区の人びとの生活のきびしさが、よりいっそう「心の差別」を広げ、それがまた生活を苦しくさせるという悪循環を繰り返してきました。 そうした悪循環をたち切るために、現在まで必要な措置が講じられてきています。
 しかし今日でも、同和問題の解決を妨げるような事態がおきています。 そのひとつが、就職試験に際して、本人の能力や適性に全く関係のない本籍地(出生地)や親の職業についての質問がなされたりした事象です。また、パソコン通信の電子掲示板に、同和地区の地名と侮辱的な記述が一緒に流されていたという事象も起きています。 これらは、憲法の趣旨に反し、特に同和地区住民の就職に際し、重大な影響を及ぼすだけでなく、さまざまな差別を助長する悪質な差別事象です。 また結婚等にあたって、いまでも戸籍調べや身元調べが見うけられます。このことは、その人の人柄などを評価するのではなく、血筋とか家柄にこだわる古い見方、考え方のあることを物語っています。このような風潮を改めていかない限り、人権が守られた明るい社会は生まれません。
 高等学校や大学への進学率にみられるような教育の問題、これと密接に関連する不安定就労の問題、産業面の問題など、較差がなお存在している分野がみられる。差別意識は着実に解消に向けて進んでいるものの結婚問題を中心に依然として根深く存在している。 地域改善対策協議会意見具申(平成8年5月)

(4)なぜ、いまも同和問題が
 同和問題の解決を阻んでいる大きな要因として「予断」と「偏見」があります。 予断とは、自分で勝手にこうだと決めてしまうことです。偏見とは、十分な証拠も科学的な根拠もなく、かたよった見方、考え方をすることです。 「いまの若い人たちは、合理的な考え方をするので、いずれそのうち部落差別はなくなるでしょう」ともいわれます。しかし、現実の生活をみるとき、意外に昔からの習慣やしきたりにこだわっていることが多くあります。
 同和地区に対する偏見は、全く根拠のない言い伝えによるところが多いものです。同和問題についての正しい理解をせず、人づてに聞いたことを信じこみ、頭から決めてかかってはいないでしょうか。 このようなことの繰り返しから起こる間違った見方、考え方が偏見なのです。 同和問題が残っているということは、物の見方、考え方が、いまなお古くてゆがんだ考え方に左右され、それによって間違った社会意識が形づくられているということになります。 部落差別を存続させている歴史的、社会的背景を正しく理解する必要があります。
 精神、文化の分野で昔ながらの迷信、非合理的な偏見、前近代的な意識などが根づよく生き残っており、特異の精神風土と民族的性格を形成していることが、同和問題を存続させ、部落差別を支えている歴史的根拠である。 同和対策審議会答申(昭和40年8月)

(5)「ホンネとタテマエ」をなくすこと
 「差別は悪いことだ」「差別はしてはならない」という考えは広まってきました。しかしこの考えは、私たちの日常生活をふり返ったとき、まだまだ十分に浸透しているとはいえない面があります。 タテマエとして「差別はいけないことだ」と口ではいいながら、心の底では差別意識が残っているのです。そのために、差別をなくすにはどうしたらよいかを考えず、いわゆる「ホンネとタテマエ」の使い分けが日常生活にまざまざとあらわれていることもあります。
 こうした秘められた意識は、日常の社会生活のなかで、とりわけ結婚話がもちあがったり、就職の話が進んだときに、はっきりと頭をもたげ、それが差別の方向に作用することがあります。
 真実を正しく学びとり、誤った考え方を正していく努力を日常生活においてつみ重ねなくてはなりません。

(6)同和問題の解決をめざして
1.私たち自身の課題として
 部落差別をはじめとするあらゆる差別と私たち自身は、無関係ではあり得ません。私たちは、時に加害者となったり、被害者となったりする複雑なからまりの中で生活しているのが現実です。 たとえひとりでも、不当なあるいは不合理な差別によって「人間らしく」生きることを阻まれ、市民としての権利を奪われているなら、それは真の民主社会とはいえません。 憲法にうたわれているような自由で平等な社会を築き上げるのは、私たち一人ひとりのつとめです。 したがって、「自分には関係がない」、「そっとしておけばいつとはなしに解消する」といった考え方や態度ではなく、私たち一人ひとりが部落差別の解消に積極的に取り組んでいく姿勢が必要といえます。
 我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害に係る深刻かつ重大な問題である。戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世紀余、同和問題は多くの人々の努力によって、解決へ向けて進んでいるものの、残念ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない。 地域改善対策協議会意見具申(平成8年5月)
 人権尊重の理念についての正しい理解がいまだに十分に定着していないのは、国民に、人権の意義やその重要性についての正しい知識が十分に身に付いておらず、また、日常生活の中で人権上問題のあるような出来事に接した際に、直感的にその出来事はおかしいと思う官制、日常生活において人権への配慮がその態度や行動に現れるような人権感覚も十分に身に付いていないからであると考えます。 人権擁護推進審議会答申(平成11年7月)
2.行政の役割と一人ひとりの理解と協力
 すべての国民に基本的人権の享有を保障している日本国憲法の理念からして、同和問題の解決に果たす行政の役割は極めて重要な意義をもっています。 このため行政は、同和問題を解決するためにいろいろな施策を実施しています。具体的には、心の差別を解消するための啓発や教育、生活実態の格差を是正するための住宅や道路などの生活環境を改善する事業などです。 これらの事業は、部落差別の解消をめざして、同和地区住民の健康で文化的な生活を実現していくために行われています。同和対策事業が、真に部落差別の解消に結びつくためには、行政の力だけでは限界があります。地域住民の一人ひとりの理解と協力が求められています。 とりわけ教育は、人間形成の上で重要な役割を果たすものであり、私たちは、私たち自身の課題として、生涯にわたり積極的に同和問題に取り組み続けることが必要です。
3.私たち一人ひとりの不断の努力によって
 同和問題といえば、同和地区の人びとに限った問題だという間違った考えなどにより、みんなの問題になっていない傾向があります。なにが差別にあたるのか、また、どうして差別になるのかがわかっていなければ、知らず知らずのうちに他人を傷つけてしまうこともあります。 同和問題の理解がうわべだけであり、タテマエや口先だけで差別をとらえていると、結婚など、その人自身や家族、親類にからむ身近な問題になったときにホンネがとびだすことになります。 日常の生活のなかで、人の心を傷つけることばが口にのぼるのは、心の奥底に隠れていたホンネではないでしょうか。ホンネを変えてゆくことが部落差別を解決する第一歩になります。 一人の力は微々たるものかも知れませんが、その正しい見方、考え方が少しずつ周囲を変えていくことも事実であり、部落差別の解消は、私たち一人ひとりの「不断の努力」によってこそ達成されるものです。その積み重ねにより、私たち一人ひとりの人権が守られ、お互いの人権が尊重される明るい社会が実現できるのです。
 同和問題は憲法に保障された基本的人権の問題であり、国、地方公共団体、国民が一体となった取り組みに力を尽くすべきである。そのためにも、国民一人ひとりが人権問題について一層理解を深め、自らの意識を見つめ直すとともに、自らを啓発していくことが求められています。 地域改善対策協議会意見具申(平成3年12月)
 人権尊重の利民に関する国民相互の理解を深めることは、まさに、国民一人一人の人間の尊厳に関する意識の問題に帰着する。これは、社会を構成する人々の相互の間で自発的に達成されることが本来望ましいものであり、国民一人一人が自分自身の課題として人権尊重の理念についての理解を深めるよう努めることが肝要です。 人権擁護推進審議会答申(平成11年7月)

(7) 同和問題についての質問・意見から
Q1:「そっとしておけば、差別はなくなるのではないか」という人がいますが…
A1:「そっとしておけば、差別はなくなる」という考えでは、同和問題は解決できません。
 明治4年(1871年)に「身分解放令」(太政官布告)が出されてから約130年、昭和22年(1947年)、基本的人権の保障をうたった日本国憲法が施行されてから50年以上経過した現在でも、「差別をしてはいけない」とわかっているのに、いまだ差別が厳存しています。 それは、正しいことを正しく伝えてこなかったり、多くの人々が「できることならかかわりたくない」「傍観者でいたい」あるいは「そのうちに自然になくなるから…」などとして同和問題と向き合うことなく、避けてきたからです。その結果、偏見や誤った考えが人から人へと伝えられ、差別が繰り返されてきたのです。 差別は、人間の尊厳を傷つけ、人間の自由を奪い、人間の平等を侵害します。私たちは、同和問題を正しく認識するとともに、一人ひとりの心の中に差別を許さない心をしっかりと育み、人権感覚の豊かな生き方をすることが大切です。そのためには、普段から、差別につながる考え方や生き方をしてはいないかを絶えず振り返り、差別を見抜く眼を養うことが必要です。そして、いつも相手の立場に立って考え行動する姿勢を持ち続けることが求められます。
Q2:「同和問題は、自分には関係ない」という人がいますが…
A2:同和問題は、同和地区に生まれたという理由だけで、根拠のない言い伝えや偏見によって差別されるという問題です。皆さんも日常生活を振り返ってみて、これと同じように、自分に責任のない理由で、つらい思いをしたことはありませんか。
 現在、同和問題を含めてさまざまな人権問題がありますが、これは差別される側の問題ではなく、むしろ差別する側の問題です。人権問題の解決に向けて求められているのは、自分が差別する人間にならないだけでなく、日常生活の中で差別を許さない行動をとることです。 そのためには、同和問題を始めとしたさまざまな人権問題を自分に関係ないと避けるのではなく、きちんと向き合っていくことが大切です。同和問題の学習をすれば、当然同和問題にかかわったときに差別を許さない態度をとることができます。またそれだけでなく、その学習の過程で厳しい差別の中で真剣に生きている人の姿にふれ、自分自身の考え方や生き方を考えることで、他の人権問題についても気づくようになります。同和問題を自分の問題として考えることは、皆さんの人生をより豊かにすることにつながっていくはずです。
Q3:「同和教育とはどんな教育でしょうか」という人がいますが…
A3:同和教育とは、教育を通じて部落差別の解消をはかることを直接の目的としていますが、これを通じて、差別や偏見を見抜く合理的な物の見方、考え方を学び、差別や偏見を許さない人権尊重の精神を高める教育です。
 その結果、同和教育の取組みは、部落差別だけでなく、子ども、女性、障害者、高齢者、患者、外国籍県民等に対するさまざまな差別をなくすための取組みへと広がっています。
 同和教育で培った差別を許さない態度と人権感覚は、これらの差別を解消していくためにも活かしていくことができます。