Infomation Uchiko
小さな路地が
過ぎ去った昔へと
旅人を誘う
古い町並みが町の
歴史を物語る

内子座
















文化の殿堂”内子座”
江戸末期から明治にかけて、和紙と木蝋で栄えた内子は、豊かな富の蓄積が、文化の殿堂”内子座”建設へと拍車をかけました。
本格的な歌舞伎劇場
”内子座”は、大正天皇即位を祝って大正5年(1916)に建設された本格的な歌舞伎劇場です。柿落としの興業は、「吉田伝治郎」の人形芝居でした。当時の人々の楽しみといえば、大阪歌舞伎とこの人形芝居で、弁当、酒、肴持参で見物に出かけたそうです。
活動写真全盛時代
しかし、この人形芝居も活動写真が登場してくるにつれて次第に衰退していきました。大正末期頃からは、実写、滑稽、活劇などの活動写真全盛の時代に入り、内子座の他に、旭館(大正15年)、本町劇場(昭和20年)もできました。
県下に現存する唯一の芝居小屋
内子座はその後、商工会館としても利用され、変遷をたどりましたが、昔ながらの風情を残して、ひっそりと雨風に耐えてきました。一時期、解体して駐車場にという意見も出て危うく消滅しかけましたが、修理の気運が高まり、昭和60年(1985)大正期そのままの姿によみがえり、県下に現存する唯一の芝居小屋となりました。現在では年間7万人を超える見学者があり、使用(興業等)も年間80回を超えています。

八日市・護国の町並み
 
八日市・護国地区は、江戸時代から明治時代にかけて木蝋の生産で栄え、当時の面影を残す商家群が約600mにわたって残っています。昭和57年(1982年)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されました。特に、大村家は寛政年間(1789〜1801年)、本芳我家は明治17年(1884年)、上芳我家は明治27年(1894年)の建物で、国の重要文化財です。




八日市・護国町並み保存センター

ここは、地域住む人たちが主役になって地域づくりを進め、町並み保存のこれからを楽しく考える場所です。 八日市・護国地区町並保存会の事務所を兼ね備え、各種会合を開いたり、建築の修理に関する相談窓口 にもなっています。また、保存地区の北玄関として町並み保存に関する資料を掲示し、同時に観光に関する インフォメーションも行っています。
内子町は、江戸時代から明治時代にかけて、和紙と木蝋でで栄えた町です。その当時の面影を残す八日市・護国地区の町並みは、今も美しい佇まいを見せ、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。町では、現在、町並み保存運動に続く村並み保存運動を展開しています。